北日本最高の観光地への夢 久しぶりに、家の近くの寿司屋さんに入った。閑静な住宅地の中にポツンと建っている寿 司屋さんで、客の殆どは常連客である。その夜も、一組、常連の先客がいて、主人と何やら 楽しそうに話し込んでいた。どうやら、昨夜、酒を飲みに行ったスナックバーの話題らしく、俄 然、興味がわいて来た。 だが、話をきいていても、大門とか五稜郭とかの匂いが漂って来ない。つい、「どこの店で すか?」と尋ねてしまった。「イヤー、そこのバス通りのスナックですよ」の答え。それを聞い て、バス通りに、一軒だけスナックバーの看板らしきものがあったのを思い出した。「誘われ て行ったんですが、それが、常連客などで結構な賑わいだったんですよ。しかも、楽しくてね」 私もよく酒を飲みに出掛けるが、殆どが大門や五稜郭であって、家と直近の住宅街にスナ ックバーが存在することなど思い出すこともなかった。これを、灯台下暗しと言うのだろう。今 度、みんなで行ってみようということになって、その店の話題で夜も更けるのも忘れる思いで あった。 それから数日経って、再び、同じ思いにかられる経験をしたのである。「バル街」でハシゴ 酒をした西部地区でのことだ。「バル街」は、既に新聞などで何度も報道されている通り、函 館観光のメッカである西部地区の飲食店街を、スペインの居酒屋(バル)が立ち並ぶバル街 に見立てて、ハシゴ酒をして歩く企画である。今回で3回目で、聞けば、今回は5軒までハシ ゴ出来る5枚綴のチヶットが1、200枚発行され、完売したという。 西部地区居住者や商売を営む人達に叱られるのを覚悟して言うが、今回、参加したこと で再発見したのは、西部地区における夜間営業飲食店の数の多さである。今回、「バル街 」に参加したのは42店舗だが、これらを含めて全部で98店舗もあって、それらの悉くがパン フレットに図で記されていた。大門の凋落が言われて久しいが、その遥か以前に、十字街、 銀座通りの凋落があった。五稜郭方面に目を向けている間に、西部地区は着実に復権の 地歩を固めていたのである。 当夜は3月にしては珍しいほど凍てつき、雪がオレンジの街路灯に反射して、それが、い やでも幻想的な演出効果を醸し出していたが、それでなくとも、西部地区には歴史的建造 物がひしめき、夜の佇まいは、外国にいるような錯覚さえ覚えさせる。そんな光景を見やり ながら、同行者がポツンと言った。「西部地区は、ハワイで言えば、ワイキキだね」。ピンと 来た。 西部地区の人口はどんどん減っているが、心配は要らない、ということだ。ワイキキはホノ ルル市の東部地区に所在するハワイ一の観光スポットで、観光客の殆どがこのワイキキの ホテルに宿泊するが、そこに居住するホノルル市民は極めて少ない。多くは、ダウンタウン など市街地や郊外の住宅街に住んでいて、ワイキキの職場に通って来ているのだ。 もちろん、ワイキキにはワイキキならではの歴史がある。しかし、今、それを検証しても始 まらない。なぜ、人々はワイキキに向かうのか。それは、ワイキキが非日常性に溢れたリゾ ート地だからであろう。少なくとも、日本にはワイキキに匹敵する海浜リゾート地はない。少 なからぬ費用をかけても出掛けたい魅力が確かにある。 函館の西部地区の佇まいは、他のどこに出しても恥ずかしくない第一級のものである。海 水浴こそ出来ないが、異国情緒溢れるレトロな佇まい、それが醸し出す幻想的佇まいはワ イキキすら持ち得ない魅力である。それは昼夜を問わない。同行者が続けて言う。「西部地 区にホテルがたくさん建てば、ここが名実ともに函館観光のメッカとなるだろう」。 観光ゾーンとダウンタウンは分離してもいい。もちろん、行き来することで相乗効果を狙っ てもいい。函館観光の「核」を形成することによって、北日本最高の観光地とする−そんな 夢をかきたててくれるバル街の夜だった。 |